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姫路城——世界遺産の白鷺城

街並みの上に、白い層

席側
北側の窓16両はE席。8両は2+2ならD席、3+2ならE席。
探す場所
姫路駅の前後

THE STORY

秀吉から、世界遺産へ

白い天守を見ていると、最初からこの姿で建っていたように思えます。けれど姫路城は、城主が代わるたびに役割も姿も変えてきた城です。いま車窓に現れる輪郭には、戦国の拠点づくりから江戸時代の暮らし、近代の保存までが重なっています。

1580年、黒田官兵衛として知られる黒田孝高は、姫路城を羽柴秀吉に献じました。中国地方の毛利氏を攻める秀吉は、ここを拠点に城を整え、翌年には3重の天守を築きます。のちに天下を統一する秀吉が、西へ勢力を広げていた時代の城でした。ただし、いま見える白い大天守は、この秀吉の天守とは別の建物です。

現在の天守を築いたのは、関ヶ原の戦いの後に播磨を与えられた池田輝政です。1601年から大改築を進め、1609年に大天守が完成しました。大天守と3つの小天守を渡櫓でつなぐ構成は、城の中心を一つのまとまりとして守るもの。街の上に浮かぶ白い屋根は、400年以上前に建てられた天守群の屋根です。

1617年には本多忠政が城主となり、その息子・忠刻と妻の千姫も姫路へ移りました。徳川秀忠の娘である千姫は、大坂の陣で最初の夫・豊臣秀頼を失い、忠刻と再婚していました。夫妻のために西の丸が整えられたことは、城が戦いに備える場所であると同時に、人が暮らす場所でもあったと教えてくれます。

江戸時代の建物が残るのは、建てた人だけでなく、守り続けた人たちがいたからです。1956年から8年に及んだ昭和の大修理では、天守を解体して修理し、再び組み上げました。さらに2009年からの平成の保存修理を経て、2015年に大天守の公開が再開。昔の姿を保つために、手をかけ続けてきた城です。

1993年、姫路城は法隆寺とともに、日本で初めて世界文化遺産に登録されました。評価されたのは美しい天守だけではありません。櫓や門、土塀、石垣、堀までが良好に残り、17世紀初頭の日本の城と防御の仕組みを伝えていることも大きな理由です。新幹線から見えるのはその一部ですが、白い屋根の向こうには、城全体を受け継いできた長い時間があります。

WHAT TO SEE

窓から探すには

姫路駅の前後、街の建物の上に白い天守が現れます。新大阪から西へ向かうなら右側、東へ向かうなら左側。屋根が何段も重なる白い輪郭を探してください。

線路と城の間には約1.5kmの市街地があります。建物に隠れることも多く、写真の大写しがそのまま裸眼の見え方ではありません。街並みの写真で位置をつかみ、駅に近づく前から窓を見ておくと探しやすくなります。

PHOTO TIPS

街並みと天守を、一緒に見る

まず街並みを広く見て、建物の上に白い屋根のまとまりを探します。城だけを大きく写した写真は形を覚えるのに役立ちますが、実際の窓ではずっと小さく見えます。広い写真と望遠の写真を切り替えると、街の中での大きさと天守の形を確かめられます。

撮るときは、城を見つけてから大きくズームするより、少し広い画角で待つと追いやすくなります。手前の建物に隠れても、進行方向へ目を向け続けてください。窓に映る室内の反射にも気をつけ、席から無理なく眺めましょう。

ON THE MAP

城と線路の位置

新幹線の視点は線路上の代表位置です。写真ごとの撮影位置や、見える範囲を示すものではありません。

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参考リンク